子供の頃から自然が大好きだったという鈴木俊太郎さん。
気づけば今では、「自然ともちつもたれつの共存関係ができている」のだそう。
いったいこれまでに、どのようにして自然とのそうした信頼関係を築くことができたのか?
相模原市に住む、鈴木さんのお宅でお話を聞きました。
vol.17
INTERVIEW 1
もちつもたれつの関係のなかで、自然とともに歩む。
-漢方整体「森氣庵」院長、「藤野電力」施工エンジニア 鈴木俊太郎さん
INTERVIEW 2
畑に自然のサイクルを作り自然に戻す。これが超自然農法です。
-山下農園代表、有機のがっこう土佐自然塾 塾長 山下一穂さん
■自然素材工房のお宅訪問
自然の素材とエネルギーを活用した住まい
INTERVIEW 1 もちつもたれつの関係のなかで、自然とともに歩む。 |
人生の目標を教えてくれた『アドベンチャーファミリー』 |
山に川、そして相模湖。豊かな自然に囲まれた相模原市緑区寸沢嵐(旧相模湖町)の一角にある、鈴木俊太郎さんとご家族が暮らすログハウスのマイホーム。
入り口には、「漢方整体 森氣庵」と書かれた看板と、「藤野電力」というシールの貼られたソーラーパネルを使った太陽光発電設備。どちらもが鈴木さんのお手製です。
「本業が整体師で別の顔が藤野電力のエンジニア、それが僕の正体です」と笑う鈴木さん。子供の頃から自然が大好き。挑んだり、助けられたり、保護したり、気づけば自然ともちつもたれつの共存関係のなかで、人生のドラマが展開してきたそうです。
「9歳の頃、大自然の中で自給自足で暮らす一家を主人公にしたアメリカ映画『アドベンチャーファミリー』を観て、これだ! と。人生の目標が一気に定まり、その後、一切ブレることはなかったです」と鈴木さん。
高校では自らワンダーフォーゲル部を立ち上げて自然と触れ合い、専門学校卒業後は大手光学機器メーカーで、プログラマー職に就いた鈴木さん。時間とお金さえあれば、自然を満喫できるアウトドアスポーツに熱中したそうです。
「登山、ロッククライミング、リバーカヌーにシーカヤックなど、山、海、川を舞台にいろんな挑戦をしました。プログラマーは、機械を相手にコンクリートの部屋に長時間閉じ込められる仕事。その分、週末はとにかく自然の中に溶け込みました。
また、その素晴らしさだけでなく厳しさも知ろうと、シーカヤックでの海峡横断など、かなりハードルの高い冒険にもチャレンジして、海流の激しさなど自然の怖さとも向き合いました」。
新婚旅行は“世界一周アウトドアスポーツの旅”
そんな20代の半ば、最初の転機が訪れます。それが奥様との出会いでした。
ご主人がアドベンチャーファミリーなら、奥様は『大草原の小さな家』が大好きだったそう。そんな二人の出会いは、共通の趣味だったカヌー。まさに自然が縁結びの神様です。
「26歳のとき、仕事を辞めて新婚旅行を兼ね3ヶ月かけて“世界一周アウトドアスポーツの旅”に出かけました。
子供の頃からの憧れだった、アメリカのヨセミテ国立公園にある巨岩でのロッククライミングに始まり、カナダ、アジア諸国、トルコ、そしてヨーロッパ各国でどっぷり、二人で自然と戯(たわむ)れました」。
帰国後、相模原に拠点を構え、鈴木さんは障がい者福祉施設に就職。そして鈴木家流のアドベンチャーファミリー生活を展開させるべく物件を探すこと5年。ようやく見つけたのが、現在のお宅がある土地でした。
「雑木林と川に囲まれた100坪以上の土地で、なるべく人のいない場所。賃貸ではなく自分で作れる家。それが条件でした。ハンドカットログハウス専門のメーカーさんに入ってもらいましたが、ほぼ全行程を一緒に作業し内装すべてとキッチンや洗面所は自分たちの手作りです」。
その間に、子宝にも恵まれます。お二人の愛娘は現在、小学4年生。毎日、自宅前の緩やかな傾斜のある道を登り下りしながら、学校まで片道40分のウォーキングを苦もなくこなしているそうです。こうして相模原のアドベンチャーファミリー鈴木家は、四季の移ろいを目の当たりにしながら、相模原の自然の中での生活を謳歌しています。
豊かな自然の気の力を借りて独自の漢方整体術を提供する
しかし、すべてが順風満帆ではなかったようです。
「30代で家を手にしたとき、心身はじつはボロボロの状態でした。当時担当していた福祉施設での職務が、かなりハードだったからです。気づいたらうつの一歩手前でいよいよ限界を感じました。
せっかく自然に囲まれた『気』のいい場所に住めたのだから、ここで何かしたいと思ったときに、たまたま目にしたのが新聞の『整体師募集』の文字でした」。
それは東洋医学の教えを取り入れた『漢方整体』を指導する学校の広告でした。
「僕はもともと病弱で、その分健康志向が強くなり、小学生で空手を習い、武道精神から東洋医学やヨガにまで興味を持ったりと、変わった小学生でした(笑)。この広告を見たときに、整体師なら多くの人の健康に貢献できるとすぐにピンときて、施設の仕事をしながら3年間学校に通い、整体師の資格を取得しました」。
こうして心機一転、鈴木さんは漢方整体師として、現在も多くの人たちの健康をサポートしています。
「豊かな自然の気の力を借りながら、漢方整体術だけでなく、自分で習得した気功やレイキなどのヒーリングも取り込んだ、オリジナルスタイルの施術を提供しています。
整体の勉強を始めてすぐに感じたのは、自分には素養がいつのまに培われていた、ということでした。
アウトドアスポーツで身体を酷使してきた分、筋肉の動きや神経のつながりなど、体のいろんなメカニズムが感覚的に身についていたのです。ですから整体学校でも、コツをつかむのが速かったんです。
施設での経験も生きています。障がいを持つ方々との触れ合った期間が16年間と長かった分、体の特徴もよくわかっています。これからも整体師として、障がい者の方々にサポートできればと思っています」。
持続可能な地域づくりを目指すトランジション・タウン運動 |
人生の軌道が修正され、自給自足生活の実現へとさらに歩み始めるなか、大きな出来事が起こります。2011年3月11日、東日本大震災と福島原子力発電所の事故です。
寸沢嵐一帯も停電になり、多くの家庭の生活に影響を与えます。しかし、鈴木家だけは別でした。
「自家製の太陽光発電システムを持っていたからです。電力会社の電線網(グリッド)とは別の配電盤を使う、オフグリッド発電設備で売電目的の太陽光発電ではありません。そのため計画停電時も、室内灯やパソコン、携帯電話の充電くらいは困ることはありませんでした」。
鈴木さんが太陽光発電に興味を持ったのは、自然エネルギーを使った屋外用電源を作る必要に迫られたからだそう。
「相模湖に来てから、この地域の人たちとのネットワーク作りを始めていました。2009年に『相模湖里山暮らしの会 ちーむゴエモン』という集まりを作って、農作物や食べ物・食育の研究会みたいな活動をしていました。
そして農薬漬けのコーヒー豆や生産者からの搾取などコーヒーにまつわる問題を知り、缶コーヒーやインスタントがコーヒーだと勘違いしている人たちに本当のコーヒーを知ってもらいたくて、地域のイベントや音楽フェスで自家焙煎フェアトレードのオーガニックコーヒーを出店したところ、大変美味しいと好評でした。ところが、大勢のお客さんに提供するために豆を挽く電動ミルや夜間照明などが必要なのに野外だから電源が無くて……」。
この会は現在、『トランジション相模湖』という名称になっているそうです。
トランジションとは「移行」を意味する英語で、2005年にイギリスで始まったトランジション・タウン運動によって注目を集めます。この運動は、石油依存、地球環境汚染、経済不安社会などからの脱却・移行を目指し、持続可能な地域づくりを住民共同で行うという草の根運動です。
「この運動をイギリスで学んだ方が帰国後、藤野町を拠点に『トランジション藤野』を立ち上げました。そして僕たちの会にもトランジションという名称をつけないかと提案があり、『トランジション相模湖』にしたのです」。
こうしてトランジション藤野・相模湖という二つのグループで、持続可能な地域社会づくりを目指す活動にかかわり始めた鈴木さんの名は、震災発生時に一躍グループ内で評判となります。
「グループのメンバーに、停電しても太陽光発電のおかげで問題がなかったと伝えると、すぐにそのノウハウを教えて欲しいと言われ、トランジションメンバーを中心に勉強会やワークショップを開き、その噂を聞いて勉強会やワークショップの依頼が入るようになりました。
そして震災後すぐに、トランジション藤野に『藤野電力』というチームができたのです」。
自然エネルギーを活用すれば自然への感謝の思いが強まる |
簡易型の太陽光発電システムを手作りするワークショップを開催すると、マスコミなどにも取り上げられて大好評となり、2015年の終わりまでに200回以上行ったそうです。
「僕は現在、ワークショップ担当ではなく、新築家庭を中心に『藤野電力』の太陽光発電設備を設置する施工を担当しています。そのために第二種電気工事士の資格も取りました。
これまでに35世帯に施工させてもらっています。照明を中心に電力の一部をまかなうシステムですが、年々オフグリット率の高い依頼が増えつつあります、今後は一軒丸ごと100%藤野電力が担う可能性もあります。そうした場合を想定し、日々、エンジニアとしてのスキルアップに励んでいます。
ただ、藤野電力という名称こそあれ、会社組織ではありません、エネルギーを通して皆さんの意識改革を目指した活動です。利益追求も行っていませんがもちろん責任を持って施工しています、お金と場所を提供していただき、様々な取り組みにチャレンジさせてもらっている感じです。
藤野電力の数名のメンバーはみんな多種多様な本業を持っていて、知識や技術など自分にできることを提供しているだけで、ほとんどボランティア活動です。
活動の目的は、太陽光という自然エネルギーの素晴らしさを伝えること。災害時の有用性はもちろんですが、日常用として使えることが大事です。そして何より、『楽しいからやっている』というのがいちばんの活動理由ですね(笑)」。
日ごろ、太陽に感謝することはそう多くありません。しかし鈴木さんによれば、太陽光発電にすれば、太陽への感謝の気持ちが日々、新たになるそう。
「曇りや雨が続くと、室内も暗くなります。太陽が顔を出して電気が充電されると、ああ、太陽ってありがたいと、感謝の気持ちが湧きます。
自然に対する敬意が生まれれば、人は自然を破壊しようとは思わなくなるでしょう。その意味からも、自然エネルギーの活用には大きな意義があると思います」。
整体師+エンジニアという二足のわらじに加え、自然を保護して育てるトランジション・タウン活動。幼少期から傾けてきた自然への憧憬と愛情に呼応するかのように、今では自然も鈴木さんの生活環境、生活設計をサポートしてくれています。
「大震災以前は、近隣の山からきのこや山菜類をいただいて食事もできたので、完全自給自足の目標にもかなり近づいたんですけどね」と悔やむ鈴木さん。
「原発事故による放射能汚染は深刻で、相模原エリアの土地や自然も大きなダメージを受けています。
その意味でやはり原発は脅威です。ただ、原発反対と訴える人たちの多くも、家に帰れば電力会社のグリッド(送電網)とそれを使う各種の家電を悪びれないで使っている、おかしいですよね。
グリッド依存を少しでもオフ・グリッド、つまり自然エネルギーに移行させるという選択肢があれば、かなりの原発抑止力になるはず、という思いは強くありますね」。
広い鈴木家にある大型家電は冷蔵庫と洗濯機ぐらい。しかも通常、電源はオフグリット状態。冬の寒さをしのぐエアコンの代わりは、コンロやオーブン・レンジ役もこなす、大きな薪ストーブが一手に引き受けます。
「僕の場合は、こういうライフスタイルが子供の頃からの目標でしたからね。それでも完全自給自足への道のりはまだまだです。
これからも自然の気を活用した整体術を提供し、自然のエネルギーを使った太陽光発電の素晴らしさを伝えながら、自然との共存生活を家族で楽しんでいきたいなと思っています」。
Interview 2 畑に自然のサイクルを作り自然に戻す。これが「超自然農法」です |
有機無農薬でキレイな作物を育てるのはむずかしい──。
これまでいわれてきたそんな常識を、あっさりと過去のものにしたのが、
山下一穂さんの生み出した、「超自然農法」です。
いったいどんな発見があったのか、
上京した山下さんを取材しました。
山下農園代表
有機のがっこう「土佐自然塾」塾長
山下一穂さん
東京・新橋のとある喫茶店。席に着いた山下一穂さんは、ニコニコとうれしそう。
「東京に来るのはいつも楽しいんです」と山下さん。「私が小中学生の頃、親父は東京で働いていました。だから大好きな父ちゃんに会いに上京できる夏・冬休みが待ち遠しくて仕方なかった。その名残なんです」と笑います。
バンドマン活動や塾教師を経てたどり着いた小さな畑 |
生まれ育った高知県の大自然を舞台に、「超自然農法」という独自に生み出した有機無農薬栽培法を実践する山下一穂さん。注目しているのは農業関係者だけではありません。山下さんが作る野菜類やお米は、見た目もみずみずしく健康そうでキレイで、とにかく美味しいと全国にファンが急増中なのです。
お話を聞いて意外だったのは、山下さんの周囲に農業従事者はいなかったこと。
「今から18年前の48歳で農家を始めましたが、もともと家業が農家だったわけではありません。きっかけは40歳の時に祖母が亡くなり、小さな家庭菜園用の畑を残してくれたことでした。
その畑を使って自分用の野菜を作ろうと有機無農薬栽培を始めました。ただ、農業のノウハウはなかったので、ゼロから自分ひとりでやるしかなかったんです」。
有機無農薬にこだわったのは、山下さん自身が病気がちで食で健康を取り戻そうと考えたからだそうです。
「若い頃は音楽に熱中し、大学入学を機に上京すると、ドラマーとしてバンドマン生活を始めました。しかし昼夜逆転のライフスタイルが合わなくて、結核になって。
体調を崩してからは、高知に帰ることばっかり考えました。幼少期に親しんだ里山、里川で遊んだ原体験が恋しくて。あの場所で釣りをしたり、山で猟をしたいなと」。
帰郷した山下さんは、お母さんが経営していた学習塾の教師をする傍ら、日中は海・川・山で自然と触れ合う日々を取り戻します。
「当時はバブル期で、塾生の中学生などが荒れていて。そこで元不良の私に白羽の矢が当たった(笑)。荒れる生徒をしずめるのは簡単で、こっちがさらに暴れてやる。そしてバブルがはじけると、今度は一転、生徒の元気がまったくなくなったのです。そこで今度はお笑い教師になって元気づけましたね。
そんな塾教師生活は18年ほどでしたが、いまでは、『土佐自然塾』での指導に活かしています」。
山下さん自らが塾長を務める『有機のがっこう 土佐自然塾』は、「超自然農法」を学ぶための塾。集う就農を目指す人たちの間で定評のある、山下さんの指導力が生まれた背景には、こうした塾教師経験があったのです。
「自然と触れ合ったことで、身体的には快調になりました。ただ、精神的には、バンドマンをやっても、塾講師をやっても、何か足りないものがあるなと感じていたんです。
農作業が与えてくれた充足感。そのかけがえのない魅力とは? |
48歳からの2年間は塾講師も兼任でした。その兼業から解放されたときのことを山下さんはこう表現します。
「やったー、これで農業だけをやっていられる。と、大喜びでしたね。自分のためだけの野菜作りでしたが、始めてみるとすごく面白いなと思ったんです。周囲に先生はいないのでなんでも自分でやらなきゃいけない。
すごく創造性があると。それは音楽作りなんかとも共通しているわけです」。
こうして農作業の楽しさに目覚めた山下さん。しかし奥様は「いまさら家から車で1時間の田舎で農業なんて」と消極的だったそう。
「それなら一人でまずは農業をやってみようと決意したんです。 もし一人でやってみて、自分が追い求めてきた心の奥底からの充足感が得られるなら、この道を行こうと決めたんです」。
山下さんが黙々と農作業に打ち込む日々が続き、奥様にも変化があらわれたようです。
「たまに作業を手伝うちに『農作業がこんなに楽しいとは思わなかった』といい始め、二人で農業をやるようになりました。そんなある晩、作業で疲れきった体を風呂で癒し、二人で晩酌しているときにふと思ったんです。
『これだ! ついにきた!』と。こんな充足感を私は求め続けてきたんだと」。
若い頃からずっと抱えていた神経性の精神的な不調も、本格的に農業に取り組むとすぐに吹き飛んだそうです。
「うつに似たようなものでした。夜はぐっすり眠れないし。でも農作業で毎日12時間ほど畑と格闘していると、さすがに48過ぎだし、身体はしんどくてもうぐっすりと眠るしかない(笑)。農作業に没頭し始めると、いつのまにか精神的にもすごく安定しましたね」。
これまでのどの仕事とも違った充足感を与えてくれた農作業。そのかけがえのない魅力魅力はどこにあったのかを聞いてみると、こんな答えが。
「農作業をしていると疑問や課題にいくつもぶつかります。その問いを自分の中にインプットしたら、答えをすぐに求めずにとにかく農作業に没頭する。するとね、ある時に『あ、そうか!』と答えがヒラメいてくるんです。
これを私は『あ、そうか症候群』と呼んでます(笑)。課題がいくつもあるときなんかは、あそうかが連発して湧いてくる。これがすごく快感なんですよね」。
山下さんによれば、『あ、そうか症候群』をうまく使うコツは、すぐに答えを求めないこと。ほかにも、もうひとつ注意点が。
「すぐに答えを求めようとしないのは、自分で答えを発見することが重要だからです。だから問いを自分の中に寝かせて、熟成発酵させておく。そうすることで、必要なときにそれがヒラメくわけです。
ヒラメキが生まれてくるまでは、とにかく前向きな気持ちで楽しく作業に没頭すること。これをやっていれば、いつか正しい答えと出会えます。問題を抱えると人はついネガティブになります。むかついたり人をうらやんだりという気持ちで待っていても、正しい答えつまり『あ、そうか』は得られないんですね」。
問いかけてから答えが見つかるまでの時間は、内容によってそれぞれ。山下さんの場合、答えを見つけるまでに18年間も費やした、という問いがありました。
「それは『有機無農薬栽培とはどういうものか?』への答えです。
単に『有機肥料を使って農薬を使わない農法』というだけではダメです。それだけではうまくいかない。
40歳から8年間をかけて有機無農薬の研究をして、48歳のときに自分の『超自然農法』を完成させて正式に農家として就農しました。さらに実践すること18年目の今になってやっと、確信が持てたので、その答えを説明できるようになりました」。
その答えをぜひ、山下さんに語っていただきましょう。
「有機無農薬栽培とは、自然の仕組みを畑に再現させる農法なのです。基点は光合成にあります。太陽の光から様々な生命が育まれます。自然の土、畑の中というのは、その多様な生命同士がいろんなやり取りをして命の循環サイクルができあがっています。それをそっくりそのまま再現するのが、有機無農薬なんです。
なかでも命の素である炭素の循環が重要で、その課題を長年かけてクリアしたわけです」。
農作業をしながら、自身と畑に語りかけるように問いに問いを重ね、時を経て熟成発酵したその結晶が、「超自然農法」という答えでした。その主なポイントは別表にまとめましたのでご一読ください。
山下さんは現在、真剣に求める人には惜しまず、「超自然農法」を教えています。前述の『有機のがっこう 土佐自然塾』もその一環です。
「年齢も様々で、いろんな人が学びに来ます。私のやり方は、感性を鍛えることを教えることから始まります。
例えば、水をあげたり枝を剪定したりという作業があります。そうした場合に、それをやるかどうかは自分で決めずに作物に聴け、と教えるんです。聴くとはつまり、五感や直感を駆使して、作物と対話しろという意味です。決して、『俺が、俺が』と自我自欲を主張しない。決めるのはあくまでも作物。
お天気、水、空気、光、影、風の匂い、香り、気温、地温など、五感を駆使して感性を尖らせ、作物にどうしてほしいかを決めてもらう。
農家になるには、それを聴き分ける透明なセンスが必要なので、それを育てたいんです」。
いったいどうすればそうした感性が身につくのか、答えは簡単だと山下さんは続けます。
「そのために必要なことは、どっぷりと農作業と真剣に向き合うこと。その勤勉さが必要なだけです。塾生や研修生たちにはよく、『疲れてからが勝負だよ』と言っています。つまり、自然や畑と徹底的に向き合っていれば、水やりのタイミングそのほか、自分の中に答えが湧いてくるようになるわけです」。
山下さんが尽力しているのは、有機無農薬農法の普及と携わる人材育成のほかにも、農家経営などの課題の解決があるそうです。
「有機無農薬農法でいくら作物を作っても、見た目が虫食いだったり、美味しくなければお客さんは買ってくれません。これでは結局、農家経営が成り立たない。でも、超自然農法なら、お客さんの喜ぶキレイで美味しくて安全な作物が育ちます。これにより通販や直販などで十分、農家経営が成り立ちます。そのことは山下農園がすでに実績を出して証明しています。
ですから私は単に農法だけを伝えるのではなく、それで経営が成り立つのだということもしっかりと伝えて、有機無農薬農法を日本全国に広げたいんです」。
なぜそこまで熱意を傾けるのか。そこには自然と日本に対する、山下さんの秘めたる想いがありました。
「美しい日本を取り戻したいんです。農薬を排除した農地が増えることで、農地そのものが環境の浄化源となります。命の循環する畑で育った作物を見ると、こちらも元気のおすそわけがもらえます。そんな農地を増やしていきたいんですね。
また、日本を美しい有機農業大国として再生させれば、医食同源(※1)など日本古来の伝統的な食文化も戻り、作物を育てる精神文化などで国際貢献を果たすこともできます。
超自然農法がそんな黄金の国ジパング復活の、ひとつの契機になってくれたらなと、そんな夢を見ているのです」。
※1.医食同源
バランスの取れた美味しい食事によって、病気の予防や治療に生かそうとする考え。
<山下農園>
山下農園のある高知県長岡郡本山町は四国の水源地。お米から野菜類など約70品目をすべて有機無農薬の超自然農法で育てています。インターネット通販などを中心に、野菜の配達先の家庭は200件を超え、県外にも100件以上発送しています。
<山下さんの「超自然農法」の3つのポイント> |
1.畑に自然のサイクルを作る
害虫を食べる天敵、病原菌を抑制するよい微生物を
生物多様性の中で担保する。
2.畑を丸ごと堆肥化する
雑草や緑肥を耕運機に混ぜ込み畑を丸ごと堆肥化。
適度に雑草を残す草生栽培を行う。
3.畑の中に小さな自然を再現する
雑草を住処とする生物を生かすことで害虫の天敵が作物を助ける。
山下塾長の「有機のがっこう 土佐自然塾」(2016年3月をもって閉校)
自然の素材とエネルギーを活用した住まい 自然素材工房のお宅訪問 |
「二人の子供を自然流育児の麦っ子畑保育園に通わせるため、相模原から座間に越してきた」というWさんご夫婦。土地探しの相談に乗ってくれたのが、園のパパ友さんでした。
「その方がトレカーサの営業さんで、土地探しを手伝いますといってくださって」と奥様。その後、トレカーサ主催の塾で自然素材住宅について学び、実際の施工住宅を訪問してその素晴らしさに共感。「住宅もトレカーサでお世話になることに決めました。」
そんなW様邸は、無垢材・漆喰・和紙・石などの自然素材を使ったトレカーサの「樹の家」仕様、そして長期優良認定住宅です。
昨年11月に竣工したばかりのお宅の玄関を入ると、樹の香りにフワーッと包み込まれます。そして外からの光に照らされて、無垢材を使った玄関備え付けの下駄箱や広がる床の新鮮な木目が、まぶしいほどに明るく輝きます。
玄関を入ってすぐ右の広い部屋は二人の子供用。将来は2部屋に仕切れるように工夫されています。その奥には和室。そして階段を上がると2階には、キッチンとリビングにバス・トイレ・洗濯機置き場などの水周り。
そして高い天井から伸びるのは二本の大きな梁。
「設計当初、リビングは一階でした。でもそれでは梁が出せない。ならばとリビングは2階に。梁のある家が夢だったので、ここだけは譲れなかった」と、ご満悦そうなご主人。
そしてベランダと屋根には、冒頭のインタビューページで紹介した「藤野電力」の太陽光発電システム。キッチン、リビングの照明、洗面所、トイレの電気を供給します。「自然エネルギーを活用したかったので、藤野電力の太陽光発電を入れることは、家を買うと決めた当初から決めていた」と語る奥様。藤野電力の鈴木俊太郎さんは、奥様の職場の元先輩なのだそう。
自然の素材とエネルギーをフル活用したW様邸。奥様がこう振り返ります。
「私はもともと、マイホームなんていらない派でした(笑)。でも考えてみると、衣食住の中でも、住はいちばん永い付き合いになる場所。それなら、子供たちのためにも、心地よくて安心なものにしたいと思い直しました。」
エネルギーも素材も、環境負荷を抑えるようにと工夫が凝らされたW様のお宅にあったのは、本当に必要なものを必要なだけ取り入れるシンプルな暮らし。
そんな暮らしからは、小さな子供たちへの愛情だけではなく、地球へのメッセージも覗えました。