vol.7

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INTERVIEW 1

サラリーマンから有機農家へと転身!

大変だけど楽しい農との日々

有機農業実践農家「NO-RA~農楽」愛川町/千葉康伸さん

 

INTERVIEW 2

本物を知ってもらいたい!日本みつばちに賭ける情熱

日本みつばち養蜂なかがわ

相模原市緑区(旧藤野町)中川重喜さん

 

自然素材住宅のお宅訪問

住宅街なのに森の中 !?

家も環境も自然の恵みいっぱいの家

NO-RA千葉さんが教える

家庭農園のための有機菜園レッスン

 

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INTERVIEW 1 サラリーマンから有機農家へと転身!大変だけど楽しい農との日々

no-ra~農楽~千葉

有機農業実践農家
「NO-RA~農楽」
愛川町/千葉康伸さん
 

愛川町で有機農園「NO-RA~農楽~」を営む千葉康伸さんを訪ねました。
自分の生き方を見つめ直した結果、お金よりも心の豊かさを選び、農業の世界に飛び込んだという千葉さん。本当の豊かさってなんだろう…? 自然とともに生きるってどういうことなんだろう…? 千葉さんのお話には、そんな疑問の答えがたくさん詰まっていました。
 

no-ra~農楽~

 

山、川、海、太陽、雨、風、たくさんの動物、

そして、たくさんの人。

自然とともに生きるとは、

自然の恵みやたくさんの愛情によって、

生かされていると実感することです。

でもそれは、日々の忙しさに追われ、お金との対価で物を得ていると、

なかなか気づきづらいことでもあります。

「農業をやるようになったら、

いつの間にか五感が鍛えられました。

花の匂いや虫の声で季節がわかったり、空を見てその日の天気がわかったり。

自然と調和していくことで、失っていた感性が研ぎ澄まされていくみたいです」
そう話してくださったのは、

愛川町の有機農園「NO-RA~農楽~」の千葉康伸さん。

愛川町で2009年に就農し、

今では注文数に生産量が追いつかないほど人気の有機農家です。
 

本当の幸せってなんだろう

no-ra~農楽~愛川

20代後半に差し掛かってから、自分の価値観と社会との間に違和感を感じ始めた千葉さんは、会社勤めのストレスを奥様と一緒に行く年1回の海外旅行で発散させていました。そしてある年、バリ島で見たライステラスや自然の風景、そこで生きている人々の楽しそうな笑顔を見て、今の自分は本当に幸せなのかを改めて考えるようになりました。奥様も同じ価値観をもっていたため、ふたりで「何か違うことをしたいね」とよく話すようになり、その中でも農業という仕事が、太陽とともに寝起きし、自然とともに生きるという点で理に適っていると感じました。
農業について本気で調べ始めたのが28歳の時。それから2年後の30歳で、思い切って会社をやめました。その時点では農業の経験も知識もゼロで、あるのは強い決意と覚悟だけでした。そして、高知県にある土佐自然塾という有機農業の学校に通い始めます。

no-ra~農楽~千葉

この土佐自然塾の塾長、山下一穂さんとの出会いが、千葉さん夫妻にとってとても大きいものになりました。
「山下さんは"毎日楽しければいいじゃん?"って感じのすごく前向きな方で、"大丈夫だよ。絶対成功するしやっていけるから。ただそのためには勤勉で真面目で素直でなくちゃいけない"って言うんです。技術的なことはもちろんですが、そういう考え方や、それまで自分がもっていなかった感覚やヒントをたくさんいただきました」
千葉さんは1年間学校に通い、奥様はその間、山下さんの農園で働くことになりました。

no-ra ~農楽~千葉

この土佐自然塾の塾長、山下一穂さんとの出会いが、千葉さん夫妻にとってとても大きいものになりました。
「山下さんは"毎日楽しければいいじゃん?"って感じのすごく前向きな方で、"大丈夫だよ。絶対成功するしやっていけるから。ただそのためには勤勉で真面目で素直でなくちゃいけない"って言うんです。技術的なことはもちろんですが、そういう考え方や、それまで自分がもっていなかった感覚やヒントをたくさんいただきました」
千葉さんは1年間学校に通い、奥様はその間、山下さんの農園で働くことになりました。

愛川町で就農!決め手は「土」

no-ra~農楽~

自然環境が豊かな神奈川県に絞って探し始めましたが、はじめはなかなか土地が見つかりませんでした。そんな時、会社を辞めてすぐの頃WOOOFでお世話になった茨城県の有機農家の方が、小田原の農業アカデミーの新規就農担当者を紹介してくれました。そして愛川町の就農担当者と繋いでくれたのです。ほかの場所よりも5倍近い面積が借りられたこと、環境がすばらしかったこと、たくさんの人に親切にしていただいたこと、そしてなにより決め手となったのは、愛川町の「土」でした。

no-ra~農楽~

「僕が貸していただいた土地は、黒ボク土といって、きめ細かくて粒子が小さい土なんです。黒ボク土は、表面は乾いても下のほうは水を保ちます。水はけがいいけど、水持ちがいい土なんですね。農業は土作りがすべてですから、この土だったら、ある程度自分の技術的に足りない部分もカバーしてくれると思いました。
しかもそういう土質の土地をわざわざ用意してくれたんですね。それならもう、ぜひここでやりたいと思いました」
畑は全部で11ヶ所、作付け面積は1.7ha。これを夫婦ふたりで切り盛りしています。手が回りきらない部分もありますし、有機栽培なのでどうしても草は生えますが、地主さんや隣接する畑の人たちも、みなさん暖かく見守ってくださっているそうです。

前向きに楽しむことの大切さ

NO-RA~農楽~しょうが

今でこそ順調に売上を伸ばしている「NO-RA~農楽~」ですが、1年目の前半は、なかなか作物がうまくできませんでした。特に夏野菜はダメでした。ちょうど7月にお子さんが生まれ、千葉さんは農作業に、奥様は子育てに手いっぱいで会話も噛み合わず、気もち的にも落ち込んでいきました。
このままではダメだと思っていた時、山下さんの紹介で毎年10月に日比谷公園で開催される「土と平和の祭典」のトークステージに、新規就農した若者の代表として出演することになりました。そこで千葉さんは、自分のことを話しているうちに気もちが前向きになったのだそうです。
 

no-ra~農楽~千葉

「これだけの気もちをもってやってきたんだから、もっと前向きにやっていかないといけない、それなのに何を落ち込んでるんだろうって。落ち込んでいたはずが人に話すことですっきりしてしまって、すごく元気になって帰ってきました。それで"ほんと頑張るわ"って思ったら、それにつれて作物の出来もどんどんよくなって、出荷先からの注文もどんどんくるようになったんです。そこからは、売上はずっと右肩上がりですね。最初に目標としていた売上額もクリアできそうです。やっぱり何事も前向きに楽しくやってないとダメなんだな、そうじゃないと作物も応えてくれないんだなと思いました」

no-ra~農楽~

たとえば、魚のあらを肥料にした魚肥を使いたいと思い、茨城の農家さんから小田原の鈴廣かまぼこの副社長さんを紹介してもらいました。鈴廣かまぼこでは、自社が作る魚肥「うみからだいち」を使って作られた有機野菜を、直営のレストランで仕入れて使っています。魚肥を売ってほしいと思って訪ねたのに、逆にぜひ野菜を卸してほしいと言われ、大きな出荷先を得ることになりました。
「本当に僕らは人に助けられています。人間ってこんなに人に助けられて、助け合って生きていけるんだなぁっていうことを日々実感しています」

周りの人に生かされているという実感

no-ra~農楽~

千葉さんはもともとあまのじゃくで、自己中心的な考え方をするタイプだったそうです。それが山下さんに出会い、愛川町に出会い、農業を続けるうちに、変わってきました。
「正直、愛川町にきても、それまでの自分だったら、経営的にも畑的にも今のような状況にはなっていないと思います。それまでは、自分だけで生きているんだって勝手に思っていました。でも、本当は自分は周りの人たちに生かされているんですよね。サラリーマンの時はそういうことはまったく感じていなかったので、それだけでも自分の中では、人生のひとつの成功だなと思っています」

農業の楽しさを伝えたい

no-ra~農楽~

千葉さんは今後のビジョンのひとつに、生産者を増やすことを掲げています。来年からは研修生を受け入れ、いずれは愛川町で新しい就農希望者が農業をやれる環境を作っていきたいと考えています。「それが助けていただいた方たちへの恩返しだと思う」と千葉さんは話します。

「農業を選んでから本当に楽しいことばかりです。なので、新しい人をどんどん増やしたいいちばんの理由は、僕が勧めたいからです。だって、楽しいから(笑)。農作業はつらいですし、経営的にも最初のうちは厳しいです。だからどこかで楽しむ気もちがないとやっていけないんですけど、楽しんでしまえばこれだけ楽しい仕事はないんですね。もう、とめどなく楽しいです!」

no-ra~農楽~

農業は楽しい…農園の名前「NO-RA~農楽~」には、そんな千葉さん夫婦の思いが込められています。
めいいっぱいたくさんの人に助けてもらいながら、そのことへの感謝の気もちを忘れず、とにかく楽しんで、心を込めて、おいしい野菜を作る…そんなふうにして作られた野菜が、おいしくないわけがありません。千葉さん夫婦の農との日々は、今まで気づいていなかった"恵み"に気づく日々なのかもしれません。

INTERVIEW 1 本物を知ってもらいたい!日本みつばちに賭ける情熱

日本ミツバチ養蜂中川

日本みつばち養蜂なかがわ
相模原市緑区(旧藤野町)
中川重喜さん
 

とろりとして甘く、独特の香りと風味のある蜂蜜、誰でも1度は食べたことがありますよね。
けれど、日本で現在行なわれている養蜂では、2種類のみつばちが飼育されていることはご存知でしたか。
ひとつは西洋みつばち。明治時代に輸入され、飼育がしやすく、採取できる蜂蜜の量の多さから、養蜂の主流となっているみつばちです。
そしてもうひとつが、日本みつばち。日本みつばちは日本に古来から生息する在来種で、日本の風土に合った性質をもっています。自力で越冬ができること、病気に強く、西洋みつばちの飼育では必ず使われる抗生物質や殺虫剤を使用せずに済むこと、さまざまな花の蜜を集めるため、百花蜜と呼ばれる複雑な味わいの蜜が採取できることなど、たくさんのメリットがあります。しかし、採蜜量が少なく商売には不向きで飼育が難しいため、近年は西洋みつばちが養蜂の主流となっています。
 

 

日本みつばち養蜂中川

まるで自分の子どものように日本みつばちをかわいがり、貴重な蜂蜜を採取している日本みつばち養蜂家の中川重喜さん。
昨年、胆管ガンが見つかりましたが、蜂蜜やプロポリスを毎日食べるようになって医者も驚くほどの回復を見せ、
今も蜂蜜の商品化や養蜂の規模拡大に奮闘しています。
本物にこだわる中川さんの養蜂への思い、日本みつばちの魅力についてお聞きしました。

きっかけはテレビだった!?

日本みつばち養蜂中川

日本みつばちの養蜂に、情熱を注いでいる人がいます。相模原市緑区(旧藤野町)に住む中川重喜さんです。昨年から、口コミの販売に加えて、地元のイベントやお店でも販売するようになりました。品質が高く、貴重な日本みつばちの蜂蜜ということで、地元の旧藤野町では、ひそかな話題となっています。
中川さんのお宅は相模湖を一望できる気もちの良い高台にあります。巣箱は何ヶ所かに分けて設置しているそうですが、自宅のお庭にもたくさんの巣箱が設置してありました。中川さんが考案したという三角屋根の巣箱は、見た目にも風流でかわいらしく、知らなければ養蜂をやっているとは気づかないかもしれません。
もともと生き物が好きだったという中川さん。漠然とみつばちを飼ってみたいなぁと思っていたそうですが、ある日、信州みつばちの会の会長、富永さんがテレビに出演しているのを見て、テレビ局に問い合わせて連絡先を聞き、訪ねていったのだそうです。
 

日本みつばち養蜂中川

それから4年ほど、仕事の合間に何度も通って話を聞き、作業を手伝い、日本みつばちの養蜂を学びました。
「趣味と実用を兼ねて、第二のビジネスとしてやりたいっていうよこしまなところがあったんだけど、やってみたらとてもデリケートで難しい。多少蜜は取れても、そのあとに蜂が減ったりね。最初に飼ったやつは秋になったら蜂が(巣箱から)出てこなくなった。2回目も全部いなくなった。去年も17箱ダメになってるんですよ。でも私は成功するまでやろうと思ったから、また今年、恵那と静岡の仲間から分けてもらった。それでやっと風が吹いてね。今、9つ巣箱があって元気ですよ」

今も試行錯誤を重ねている”中川流養蜂”

日本みつばち養蜂中川

たとえば針金の組み方を工夫して巣が落ちないようにしたり、蟻が下から登ってこないように、空き缶を切ったものを逆さにして足にはめ、蟻返しにしたり。パッとみるとかわいらしい三角屋根も、日が当たらないように少し大きめに作るなど、失敗を重ねて、試行錯誤の末に行き着いたやり方なのだそうです。
「100回聞いても実際にやってみると知らないことや聞いたことないことがたくさん起こります。」と中川さん。その都度改良を重ねて"中川流養蜂"を確立していきました。
「蜂蜜を採るのはある意味人間のエゴだと思うけれど、巣箱がひとつふたつみっつと増えていく、あの時の感動はすごいものがありますよ。みつばちは本当に一生懸命で、勤勉でね。ものすごく奥が深いんです」
 

蜂の巣

今ある9つの巣箱が無事に春まで生きると、3月頃から女王蜂の産卵が始まります。1日に700から1500の卵を産みますが、その中でも新しい女王蜂になる卵は、3日にひとつずつ、7~10こほど生むそうです。それが順番に生まれて新しい女王蜂(長女)が誕生します。新しい女王蜂が生まれる前に、元々の女王蜂(親)は、1箱に3万匹いると言われている働き蜂のうち、半分を連れて巣を出ます。その3日後にまた新しい女王蜂(次女)が生まれると、その前に生まれた新しい女王蜂(長女)は、またその半分を連れて巣を出ます。これを分蜂といいます。この分蜂がうまくいき、新しい巣箱に定着させることに成功すると、ひとつだった巣箱がどんどん増えていくという仕組みです。

蜂の巣 日本みつばち

といっても、次から次へと分蜂させると元の巣が弱ってしまうので、3つぐらいに分蜂させるのが一般的だそうです。ひとつの巣に2匹の女王蜂は存在できません。分蜂は天気のいい日に行なわれますが、天気が悪い日が続くと新しい女王蜂は噛み殺されてしまいます。とにかく繊細でいつ何が起きるかわからない、これが日本みつばちの養蜂の難しさでもあり、面白さでもあります。

中川さんの蜂蜜は100%ピュアな蜂蜜

日本みつばち養蜂中川

中川さんは養蜂をする環境にもこだわっています。中川さんの自宅周辺は田んぼや果樹園がありません。それがいい、と中川さんは言います。
「田んぼや果樹園はしょっちゅう農薬を撒きますよね。その花の蜜を吸ったら、絶対に農薬も混じってしまう。でもこのへんに生えているのは梅やびわや栗ぐらいで、消毒なんかしていない。だからそういう要らんもんが蜜に入る心配がないんです」
つまり、中川さんの作る蜂蜜は、人工的な混ざり物がまったくない純粋な蜂蜜なのです。中川さんは「本物を知ってほしい」と何度も口にしました。それはスーパーで出回っている蜂蜜の多くが、抗生物質を飲まされた西洋みつばちが砂糖水をエサにして作った蜂蜜で、本来の蜂蜜のおいしさもパワーもないからだそうです。本来の蜂蜜は、殺菌力が強く、免疫力を高める効果があると言われています。もちろん風味も違うし、味も濃厚でおいしいのです。

ガンになって知った蜂蜜の力

日本みつばち養蜂中川

その効果は、中川さん自身が身をもって体感しています。じつは昨年末、中川さんは胆管ガンが見つかり、1ヶ月半も入院しました。お医者さんには「半年持てばいい」と言われた末期がんだったそうです。それまでは「高い蜜だからもったいなくて自分ではあんまり食べてなかった(笑)」という中川さんは、それを機に毎日の蜂蜜とローヤルゼリー、プロポリスを欠かさないようになりました。
するとガンマGTPの数値が500から70という平均値まで下がり、身体も疲れにくくなりました。減っていた体重も自分のベスト体重まで戻ったそうです。今でも2週間に1度抗がん剤を打っていますが、そんなことは言われなければわからないほど、とても元気で健康そうに見えます。

日本みつばち養蜂中川

「医者も不思議がっていますよ。蜂蜜を1kg1万円で販売していて、高いなぁと思う人もいるだろうけれど、それは3ヶ月ぐらいはおいしく食べられる量なんです。1ヶ月3000円で体が健康になるんだったら、こんなに安いものはないですよ。そういう真剣に作った本物の蜂蜜を、私は提供したいと思っているんです」
そして元気の秘訣は、養蜂を成功させるまで病気に負けるわけにはいかないという強い思いによるところも大きいそうです。
「ここで死んでたまるかっていう気もちもあるし、毎日、自分のかわいがっている生き物を見て、明日はこうなるかな、来月は分蜂が始まるから蜜が採れるなっていうサイクルを考えて、ああしようこうしようって改善していくそういう喜びがあるから元気なのかもしれないですよ。今こうして元気なのはいろんな意味でみつばちのおかげですね」。

日本ミツバチ

今年の春、庭の池で大事に飼っていた鯉が突然亡くなったそうです。中川さんは「私が病気になって、その身代わりになってくれた」とサラリとお話してくださいました。そんなふうに生きとし生けるものと向き合っている中川さんの作る蜂蜜は、やはりどこか中川さんの人柄が滲んだ、愛情と力強さに溢れた味がします。今後はますます採蜜量を増やし、商品化してより多くの人に本物の届けるべく頑張っていくそうです。

自然素材住宅のお宅訪問 住宅街なのに森の中 !?~家も環境も自然の恵みいっぱいの家~

枝垂桜の家

秦野の住宅街の細い路地を進んでいくと、突然、樹々がたくさん繁った一角が現れます。まるでそこだけ森の中のようです。そこに建っているのが、今回ご紹介するK邸です。家の目の前には目印になる大きなしだれ桜の木があり、春には毎年きれいに花を咲かせています。古くから建っているお隣の母屋の雰囲気と合わせて、この場所に合うような家を建てたいという思いから自然素材の家を選びました。もともとあった木々をなるべく残そうと最低限の木しか切らなかったため、その一帯は自然と調和した空間になっているのです。
 

板倉づくり 秦野

以前、仕事の関係で愛川町にお住まいだったKさんは、友人がトレカーサ工事で家を建てたのを見て、ここなら基本的なところを押さえているから大丈夫だろうと思ったそうです。そして、どうせお金を出すならこだわりをもってやっている工務店に建ててもらおうとトレカーサ工事に依頼することにしました。
家は木造の板倉造り(※1)。和歌山県産の杉・桧材を使用し、壁には漆喰が使われ、古民家のような太く存在感のある梁が印象的です。

国産材梁 ブランコ

1階は広いリビングルームとキッチン、水回りと和室。2階はふたつの子供部屋と和室です。男の子ふたりと女の子ふたりの4人のお子さんがいるため、女の子部屋と男の子部屋で部屋を分けています。子供部屋とリビングの吹き抜け部分は壁の上部を開けていて、それぞれの部屋が繋がっています。こうすることで、家族の声が家のどこにいても聴こえ、冬は薪ストーブの熱を、夏は涼風をすべての部屋に届けることができます。しかしどの部屋にいても話し声が筒抜けになってしまう造りは、じつは大きくなったお子さんにはちょっぴり不評だそう。「作った時は良かったんですけど、こういう問題が出てくるとは。家作りは難しいですね」とKさん。

ダッチオーブン 薪ストーブ

樹々に囲まれ、家の風通しもよく、夏は扇風機だけで過ごしています。無垢材の床は柔らかく、夏はベタベタしないし、冬はひやっとした感じがないのが気に入っています。冬の暖房は主に薪ストーブです。リビングの吹き抜け部分に設置された薪ストーブは、これ1台で家全体を暖めてくれます。日ごろから、自家製ピザや焼き芋、ダッチオーブン料理が食卓を賑わし、薪ストーブを十二分に楽しんでいる様子。

油絵 板倉づくり

「もともと母屋が昔ながらの家で、今でも薪で風呂を沸かし、10数年前までは五右衛門風呂でした。庭先や栗畑、街路樹の伐採木、知人からの提供、また、山ももっていて手を入れているため、薪に困ることはありません。切った木は使わなければそのままごみになってもったいないと思ったので、薪ストーブにしたんです」と、Kさん。
オール電化にしたためガス代がなく、薪ストーブと合わせて、光熱費は以前の半分以下になりました。

薪ストーブ 御影石

住み始めて丸4年。枯れ葉や桜の花びらですぐに車がダメになってしまうので、カーポートも作りたいと思いつつ「せっかくの森の雰囲気が 壊れてしまうので」と悩み中。いつも頭には森のことがあります。秦野の住宅街のはずなのに、気もちの良い風が吹き、深呼吸したくなる空気が漂っているK邸。家も環境も、自然の恵みいっぱいのお家なのです。