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「花燃ゆ」に、心熱く

 

大河ドラマの「花燃ゆ」を毎回、見ています。

 

大河ドラマと言えば、黒田官兵衛の生涯を描いた、昨年の「軍師官兵衛」も欠かさず見ました。

軍師という策略を駆使する人物でありながら、国や民のことを思い、実践する

至誠の人物であった様がよく描かれていて、感動しました。

 

至誠と言えば、今回の「花燃ゆ」の準主人公である吉田松陰も共通します。

 

 

松陰の「至誠にして動かざる物は未だこれ有らざるなり」という言葉が

よく知られています。これは幼少期から松陰が勉学に励んだ古典の書物の「中庸」に

記されている言葉です。

 

これは、松陰の直筆の手紙です。

 

 

「中庸」では次のように、もう少し長い文となっています。

 

「誠は天の道なり 誠を思うは人の道なり   

至誠にして動かざる者は未だ之あらざるなり   

誠ならずして未だ能く動かす者はあらざるなり」

 

その意味は、「誠は天の道であり人の道である。

誠を尽くして心動かされない者はいない。

誠を尽くさずして人を動かす者もいない」となります。

 

松陰は、上の手紙でもある通り、「二十一回猛士」と好んで記した号に

込めた決意として、生涯で21回、猛を奮い、誠を尽くして全力で物事を 実践して

生きようとした人物でした。

 

そして、松陰は、29年という短くも深く、生涯を熱く駆け抜けた人物でした。

私たちは、生涯でどれだけ猛を奮い、誠を尽くして生きられるでしょうか。

猛を奮うのは、大きな勇気と覚悟が必要で、日常多くあることではありませんが、

まずは、日々、誠を尽くして生きることが肝要かと感じます。

 

 

松陰には様々な名言がありますが、少しだけ引用します。

 

「人の精神は目にあり 故に人を観るは目においてす 胸中の正不正は  

眸子(ぼうし)の瞭眊(りょうぼう)にあり」

(人の精神は目にあらわれる 故に人を判断するには人の目をしっかりと見ること。   

心中の有り様は、瞳の輝きや曇りにあらわれる)

 

「一己の労を軽んずるにあらざるよりは いずくんぞ兆民の安きをいたすをえん」

(自分自身、骨身を惜しまず働くようでなければ、どうして多くの人のために  

尽くすような立派な人間になれようか)

 

 

「冊子を披繙(ひはん)すれば 嘉言(かげん)林の如く躍々(やくやく)として人に迫る  

顧(おも)うに人読まず 即し読むとも行わず 苟(まこと)に読みて之を行わば即ち   

千万世(せんばんせ)と雖(いえど)も得て尽くすべからず」

(書物に溢れる偉大な言葉の数々は人の感奮を興起させる。  

しかし、今の人々は書を読まず、読んだとしても実行をしない。  

もしも読みて実行したならば、千年万年と受け継がれるものである)

 

 

「道は即ち高し 美し 約なり 近(きん)なり 人徒(いたず)らに其の高く且つ美しきを見て

もって及ぶべからずと為す 而(しか)も其の約にして且つ近く 

甚(はなは)だ親しむべきを知らざるなり」

(人の道は高大で又美しく、同時に簡約であり、手近いものである。人は得てして、その高大で  

美しい様子を見て、とても自分には及ばないことだと考えてしまう。しかし、人の道は、簡単で身近な、  

ものであり、日頃から慣れ親しむべきものであるということを知らず、実践しないものだ)

 

 

松陰の言葉に、身の引き締まる思いがします。

その思いは、松陰の言葉の如く、日々実践していくこととしましょう。

 

さて、テレビの「花燃ゆ」では、松陰役の伊勢谷友介さんと、小田村伊之助役の大沢たかおさん、

そして松陰の妹、文(ふみ)役の井上真央さんが、毎回熱く演じていて、ついついのめり込んでしまい、

その熱気に、心動かされます。

 

昨日は、野山獄から出された松陰が、松下村塾を開塾する様子が描かれていました。

これから高杉晋作ら、さらなる若者たちが塾に集い、松下村塾も、松陰たち登場人物たちの

生き様もヒートアップしていくことでしょう。続きがますます楽しみです!

 

 

 

written by  H. Osanai