vol.4
INTERVIEW 1
がんこ本舗代表 木村 正宏氏が提案する 1人1人が主人公。
「衣・食・住・環境・社会」を自分で考え、暮らす「幸せ」のある生活。
当たり前にエコがある暮らし。
INTERVIEW 2
目に見えないものこそが大事なもの
長谷川主水(はせがわもんど)
株式会社トレカーサ工事 大工職人
自然素材住宅のお宅訪問
スペイン風の白亜の洋館
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INTERVIEW 1 「衣・食・住・環境・社会」を自分で考え、暮らす「幸せ」のある生活。 |
がんこ本舗 木村 正宏氏が提案する 1人1人が主人公。 「衣・食・住・環境・社会」を自分で考え、 暮らす「幸せ」のある生活。 当たり前にエコがある暮らし。
木村正宏氏 茅ヶ崎在住の52歳 愛知県出身 現在、がんこ本舗代表 |
木村さんは茅ヶ崎を拠点として環境にやさしい洗剤を販売する「がんこ本舗」の代表というだけでなく、その枠を超えた活動力の持ち主です。
その「枠を超えた活動」とは人が生きること=生活の提案。 それを考える「場」としての「洗剤学校」も開催されています。
木村さんの経歴は…農業機械のエンジニア~自然保護団体の主宰~環境コーディネーター~がんこ本舗の代表と多岐にわたります。
木村さんを一言でいえば、「自分の意思でものづくりをする発明家」。
ものを研究開発するひとの中には、企業内で研究職に徹している方も多いですが、木村さんは企業に所属せず、個人で活動する方。
社会にとって必要なことを自分の目で見て考え行動し、それで感じ取った必要性を原動力にものづくりに取り組まれている方です。
環境保護活動をはじめたきっかけ |
木村さんは高校生の時、陸上競技に熱中し自己タイムを伸ばすために、めいっぱいご飯を食べていました。
いつものようにご飯を食べていると横のテレビで飢餓に苦しむ人々の映像が流れていました。
それは自分の置かれてる境遇との差に違和感を感じるものでした。
同じ人間なのに、一方では自分の走る記録を伸ばすためにお腹いっぱいご飯を食べ、一方では、明日生きる食料もない・・・。
加えて木村さんの青年時代は公害問題が表面化し始めたときでした。
汚水の垂れ流しで環境が汚染されそれが人間の食物を汚染し、人間の健康を害する様になって起きた社会問題です。
これら2つのことは、弱者(経済的弱者や物言えぬ自然)にしわ寄せがくるようになっている社会構造から生まれているものでした。
木村さんはそれを目の当たりにして、人間の心の荒廃を感じました。
そして「地球上の人が公平で幸せに暮らすことはできないのか。」そのために「自分でできることはないか」という思いが芽生えたのでした。
オーガニックコットンの開発による「衣」の現場でのふれあい |
「衣」の分野では、生地ができるまでの工程(綿の栽培~生地までの製造工程)に大量の農薬・化学薬品が使われている(食料植物の10倍以上の農薬を使用して綿を栽培しているところもある。
加えて生地製造過程の精練工程にも化学薬品が使用されている。)ことを知り、木村さんは今から20年前にケミカルフリーの精練技術を開発しました。
その技術が、無農薬でつくった綿で生地をつくろうと活動されていた方達の目にとまり、共同で環境にやさしい生地の開発に取り組むことになりました。
その開発のため、アメリカアリゾナ州に行き、泊まり込みでオーガニックコットン栽培研究の先駆者である昆虫学者の方達とふれあう中で、現在のオーガニックコットン生地を誕生させました。
環境保全型村おこしを通した「食」と「環境」を結ぶ開発 |
活動フィールドは大地にとどまらず森、川、海にわたります。
大学で学んだ町おこしの技術(産業立地論)を活用し高知県では環境保全型村おこしに尽力されました。
その内容は…村おこしのための特産品として海で塩を作っているメンバーから有償で塩をわけてもらい田畑で有機栽培した作物を味噌や漬け物といった加工品作りに利用する、そして直販ルートをつくり「海・森・暮らしをつなぐ」ということをされたのです。
その真意は、水の循環を考えた時、汚染の海で塩はつくれないということ。
海をきれいにするなら排水をきれいにしなくてはいけない。
ならば、農薬や化学肥料による土壌汚染を減らし、生活排水もきれいにすることをこころがけ、しかも経済的に、海のひとも森のひとも、街のひとも循環ができるシステムを構築することが必要になります。
この活動は、そこに住む人が自然の恵みに感謝しながら自然を利用し生活する。そんな思いが住む場所づくりでした。
このようにして木村さんが日本の生活「衣・食・住・環境・社会」を見てきた経験から問題に思うことは…日本の需要と供給の関係。
日本の経済は消費者に新しいものをどんどん供給し、消費者自身そのメカニズムを知らずに使い方だけを教えられて、ただ消費していく構造。そんな消費者にとって受動的な構造の中では、自分が生きているメカニズムを考えずに暮らしてしまう。
自分が生きているメカニズム…すなわち人が生きるために不可欠な衣・食・住・環境・社会とのかかわりや重要性を考えずに暮らしてしまうのです。
だから、「実際に生きることと暮らすことが一体化」していない。日々の務めはお金のためで、日常の生活が生きがいにつながっていない。
木村さん曰く「電車のなかの通勤途中の人達が幸せそうな顔をしていないよね。私は日々の生活の中に生きがいを感じて暮らしていけるような社会にしたいんだよね。」
木村さんがこれからの日本人のために何をすべきか考えた結果、自らの発明を通して「実際に生きることと暮らすことを一体化」させる提案をしていくというものでした。
生活者自らが日々の生活に関心を持ち、自らを生かす環境と調和するものを使い生活をする。
そしてそのような暮らしを自らの意思で形づくること。
それが自分にとって生きがいのある生活の一歩になりえるからです。
「実際に生きることと暮らすことが一体化」していない現状の日本の生活スタイルが生み出す問題がありました。
それは人の生活から外環境に「排出するもの」(ゴミや汚水など)。木村さんはそこに解決すべきものを感じていました。
人間が生活で排出するものにこだわる |
以前、木村さんはプロの登山家でもありました。
日々「山登り」などで自然環境と触れ合う生活中、人だけ異質な存在に感じていました。
それは「人が排出するものを自然に還すこと」が出来ていないことから生じていました 人間以外の他の生き物の摂理は、大地から生まれ大地に還る。
自然界の循環の中に暮らしています。
それに対し人の生活は、地球の資源を大量に消費し、そこから大地に戻りきれない大量のゴミを蓄積させています。
それでは人は地球環境と一体化できない。その考えから木村さんは人間が排出するものを自然に還す「ものづくり」がしたいという思いが芽生えました。
その一つが環境に配慮した洗剤の開発。
さらに、「実際に生きることと暮らすことの一体化」を目指し、暮らしから「排出するもの」について生活者自ら考える提案型の「洗剤学校」の開催を考え付かれました。
がんこ本舗の洗剤のこだわり |
木村さんの「人の幸せ」への思いをこめた「洗剤」と「洗剤学校」の内容とは… 洗剤の4つのこだわり
1)環境分解性がよく・省資源 まず大前提として自然に戻りやすい環境負荷の少ない洗剤をつくる。そして洗剤の製造には大量の油資源(石油や植物油など)が使われている。その使用資源の量を減らす。
2)高い洗浄力 いくら環境にやさしくても汚れが落ちなければ洗剤の目的は果たせない。洗浄能力の高い洗剤をつくる。
3)排水溝が詰まらない 市販の洗濯洗剤や純石鹸の難点は洗浄成分が油と結びつくとまた油になってしまうこと。そのため下水に油を排出してしまうことになる。それは排水溝の詰まりとして表れてくる。だからそれを解消する油分分解性のある洗剤をつくる。
4)残り湯や海水を使っても汚れが落ちる 純石鹸のような洗浄成分が陰イオンであるものは、残り湯のミネラル分と反応してしまい洗浄能力が落ちてしまう。 残り湯や海水を使っても汚れが落ちる洗剤をつくる。そして木村さんは1999年上記の項目をクリアできる洗剤の開発に成功。それは、植物を原料とした洗浄成分(ナノ分子の高級アルコールなど)の洗剤。油分分解性を可能にし、OECDガイドラインをクリアした生分解性をもっています。がんこ本舗の洗剤は油原料も大幅カット(油の量…石油洗剤の約1/10、純石鹸洗剤の約1/120の量)に成功。陰イオンでなく中性なため、洗い水に残り湯や海水を使っても洗浄能力は落ちません。真水を使えない災害時でも海水で汚れを落とすことができます。
自発的な環境保全型生活の提案 ~洗剤学校~ |
環境保護を目的に洗剤を開発した木村さんならではの言葉。「例えば、汚れが少ない食器は古紙で拭きとってあとは軽く水洗いして食器洗いを済ませる。古紙で拭きとれば重ねて持っていっても汚れが他の食器につかない。水・洗剤・手間を節約できます。もっと言えば器を野菜の葉にしてしまえば、ごみも汚れも出ない。環境にやさしい洗剤を使うだけで満足しないで、汚水を減らす暮らし方を考えることで、より環境にやさしい生活ができますよ。」
「排出するもの」との付き合いも大切な自分の生活の一部。人は自分が暮らしの中で出したものであっても、不要になれば、ゴミ・よごれとして厄介者扱いして、外に排出してしまいます。木村さん曰く「食事を楽しませてもらったのなら、その名残の汚れにも「ちゃん」づけで呼ぶぐらいの愛情がほしい。汚れに対する考え方が変わったときその人の生き方も変わってくると思う。」人間の生活が環境に与える害を自らのことと捉え、「洗剤学校」で学んだことを自らの意思で明日の家庭生活から活用する。それが「実際に生きることと暮らすことの一体化」につながります。自主性を重んじるこの学校のスタンスは、教えてもらうという受動的な「教室」ではなく、自ら学んで以後の生活に活かすという意味で「学校」と銘打ってらっしゃるそうです。
がんこ本舗流会社のあり方とその風景 |
がんこ本舗のオフィスは夕方になれば、そこは子供が学校帰りに寄って帰る場所。遊び感覚で手伝ってくれています
大人の仕事場こそ、小学生を楽しませたいという木村さんの次世代教育方針からでもあります。
洗剤は量り売りもされており、容器の無駄が出ないのはもちろんのこと、お客さんとのやり取りができるコミュニケーションツールとしても大切にされています。
がんこ本舗のオフィスは、洗剤学校同様、多くの人たちとの生活にふれあう場でもあります。
木村さんはじめがんこ本舗の方々は、人のためを思う、人に近い会社づくりをされている…。それが、学校の風景や小学生とふれあうなどの風景に象徴されているようでした。
がんこ本舗のこれから |
その特色から、がんこ本舗のビジネススタイルである自然と共に生きる生活の提案を全国に発信することができる土地です。 がんこ本舗流ビジネススタイル…木村さん曰くエコビジネスとは「本当に環境保全精神をもって商品を販売するのならば、会社の拠点とする土地の水・土・食べ物そのすべてを大切に守り育む会社スタイルでないとおかしい。拠点地の環境保全ができていない会社が本当のエコを提案できるのか?」そのことばの裏付けとしてがんこ本舗のオフィスの前には近くでつくった新鮮野菜が並んでいます。
その野菜はがんこ本舗の方々ができるだけ環境や人にやさしい作り方で栽培されたものです。
夕飯支度前の近所に住む奥様達がオフィスに野菜を買いに来ます。
その風景からも「食」や「環境」という生活の基礎での地域の人との結びつきを大切にされているのを感じとれます。
木村さん個人のライフスタイル…木村さんは大の魚好き。茅ヶ崎は近くの港で水揚げされる魚を食べて暮らせる場所。だから心身共に茅ヶ崎を愛しています。好きな「食」を育んでくれる茅ヶ崎の地は、木村さん個人としても根ざして生きていける土地です。
その土地を愛し、その土地に感謝して環境を守り育んでいくそれが日常生活の「幸せ」や「生きがい」につながる…そんな思いでがんこ本舗は茅ヶ崎にあります。がんこ本舗流スタイルを茅ヶ崎から全国へ---。
そのためにこれからもがんこ本舗は人の基礎である「生活」を思い、ふれあいと発明に勤しんでいかれるでしょう。
これからも地球で幸せに暮らす |
自分たちが主人公の生活を送るには、他力本願の「与えられる情報」に流される生活から抜け出し、自分達を生かしてくれる生活環境と「ニコッ」と笑える関係で暮らすこと。それが自分達の日々の幸せにつながる。
つまり他の誰のためでもなく、自分たちの幸せのためにエコを考えて暮らしてみること。それが人を思うがんこ本舗のメッセージのように感じました。
写真
① がんこ本舗 茅ヶ崎市に店舗があります。
② 洗剤学校の風景~木村氏自ら席を回りお話します。
INTERVIEW 2 大工職人として生きる |
目に見えないものこそが大事なもの 大学時代の混沌、渡米時代の衝撃、 パイロット育成時代の模索、 インド時代の決意。 長谷川主水氏の大工職人に至るまでの 模索と、その人生観に迫る
長谷川主水(はせがわもんど) 株式会社トレカーサ工事 大工職人 愛川在住 37歳 |
模索の時代 |
その真剣な眼差しは、あまりにも印象的だった。
黙々と仕事に取り組む背中からは情熱が感じ取れる大工職人・長谷川主水。
長谷川の出身は多摩。当たり前のように大学まで進学したものの、在学中は、ずっと将来の夢を模索していた。
しかし、探すも探すも一向に自分のやりたい事が見えてこない。
そんな中、長谷川は、子供の頃抱いていた夢を思い出す。
大空を翔け抜けるパイロットという夢。
思い切ってチャレンジしてみようと、長谷川は大学を辞め、難関試験で名高い海上自衛隊航空学生を受験。
見事に合格をつかみ、パイロットの第一歩として航空学生のパスポート勝ち取った。
そして20~23歳までその訓練機関のある山口県で過ごした。
しかし長谷川は、この見事勝ち取ったパイロット学生としての入学を、直前にきて一度やめようと思ったのだという。
それはアメリカのニューヨークへ渡米したことがきっかけだった。
自衛隊航空学生の受験直後、もし合格を勝ち取り入学するとなっても半年も先のこと。
長谷川はアメリカにいる友だちの誘いを受け、一旦ニューヨークへ飛んだ。
そして半年間、友だちの仕事の後任を引き受けるようにして、あるダンサーのアシスタントとして仕事に従事。その在米期間中に、とある行進に参加。
それが「ピースウォーク」だった。
終戦50周年を記念して、アメリカの他、ナチスドイツの強制収容所のあるアウシュビッツや、日本の広島などを巻き込んで行われたピースウォーク。
ある日本の僧侶が中心となり、歴史に隠された真実をもう一度見ていこうとする平和行進だった。
長谷川はこの行進に数週間参加し、歴史や表向きに隠された真実を様々目の当たりにしていった。
まだ行われているインディアン差別の真実。
アメリカの国に逃げ流れてきた難民の真実。
自由の国とどんなに謳っても、インディアン侵略の歴史から始まり、戦争を続けているという国の矛盾。
そんな幾多の迫害を受け続けてきた人々に出逢い、長谷川の人生観は変化していく。
本当のことは何か。真実とは何か。
植え付けられた記憶に嘘はないか。
自分自身が本当に探し続けていかなければならないものは何か。
しかしその人生観が一変するような衝撃の最中、日本で受験していたパイロット学生の合格通知が、長谷川の元に届いた。
超難関試験を通っての合格であることには違いない。
しかしこのアメリカでの経験の中で、果たして自分はパイロットという夢をを追い続けていいのだろうか。
長谷川は悩んだ。
いっそうのこと入学を辞退してしまおう、何度もそう思った。
しかし難関を突破し合格を勝ち得たことを、心から喜んでくれている両親が、「パイロットとして学んでみてはどうか」と後押し。
その気持ちに報いるために長谷川はパイロットの道を進んでいく。
その後数年を経ても、長谷川の中で生き方の模索の灯は消えることはなく、「本当のこととはなにか。自分は何をすべきか。」パイロット学生であった在学期間中も、そのことはずっと脳裏から離れない。
長谷川は、過酷な訓練で体が疲れているにもかかわらず、休日などには、農業ボランティアなどをし、自分の進むべき方向性を探し続けた。
そして3年後、その模索と真剣に向き合おうと、自衛隊を退職。単身インドへと渡った。
長谷川はインドのマザーテレサの施設で働きだした。そこはまさに死に直面した人々が入る施設。
そこでの長谷川の仕事は、その人たちの人生最後のお世話をすること。
あるときその施設の中で、一人の老人の足をさすってあげていたとき、長谷川はふと思った。 「そういえば、僕は、自分のおばあちゃんに、こんなことしてあげたことがあっただろうか…」。
長谷川は、なんとも言えない気持ちになった。遠くこの海外での活動の中、日本で何が出来るのかを深く考えさせられるようになった。
化学肥料に頼らない本物の農業、安さ至上に流されない本物の建築。そういうものに関わって生きていこう。そう決意し、人生の方向を見出した長谷川は帰国をする。
大工職人として生きる |
華やかな言葉の裏には必ず隠された侵略や差別が存在することを、目の当たりにした衝撃的な経験。「このときに表面的なものだけを信じないという性格が形づくられたのかもしれません」という長谷川。今や住宅建築の寿命は30年を切っている。その建築の裏側では何が起こっているのか、考えていくようになった。
安さと見た目、表面的な装飾だけでは、いいものはつくれない。様々な深みを帯びた職人となった長谷川は、九州から地元へと戻った。
100年もつ家とは。。。 |
そして、家が100年もつには、倒れるか倒れないか。これがまず大事だというのが話の核になった。 例えば、大地震が来て少し家が傾いたとしても、直せば住める。しかし倒壊してしまえば、それはもう住めない。その点でとにかく、倒れない家、粘りあるガッチリした家を作ることこそが大事だと長谷川は言う。
大きな揺れで、壁の剛性が低下した後、骨組みの強さ、これが大事になる。上棟する最中の、木を組み合わせている段階で歩いてみると、骨組みの状態分かるそうだが、骨組みを強くすることこそが、まさに勝負なのだという。
大工さん選びで強い家をめざす |
そこでなんと言っても大事なのは、大工選びだという。
本気で100年もつ家に住みたいなら、100年経った家に携わって勉強している大工を探し、頼むのが一番。100年経過すると家はどこがどう劣化していくのか、そして、どこに力を入れて建てていくべきなのか、そういうことが見えてくる。目的意識が一緒の大工と家を作るのが一番であり、その方向性のベクトルが一緒であれば、思いの叶う本当にいい家作りができるという。
第二点目は費用のかけ方。例えば柱等の木材を、機械でなく手刻みで行う場合、大工代はその分多くかかってしまう。しかし、コストがかかっても、大工代の割合をかけたほうが絶対にいい家づくりができるという。
予算をかけるというよりは、全体の割合をかえていけばいいことになる。
まず強い家をめざすのであれば、そういう見えないところに費用をかけて、100年持つ家は建つのだという。
そして、小さな工務店の方がベターだという。たくさんの従業員を抱えている会社だと、その人数分のコストもかかるし、無責任になりやすいのだとか。
そして最終的に長くもつ家づくりでおさえるポイント。それは「ほぞ」にあるのだという。ほぞとは、木材と木材を接合させるための突起の部分。
地震の際、骨組みと土台の間が最後に揺れることになり、この部分が、外れたり破壊されたりして家は倒壊する。もちろん金物で補強はしてあるがその補強の利きがなくなるほどの揺れの場合、最後は、ほぞが大事になる。だからこそ「長ほぞ」を使うという。昨今では、工場での効率・費用・スピードが重視され、短いほぞが使われているが、とにかく接合部を長ほぞにすることにより、倒れない家づくりができるという。 長谷川の手掛けた仕事で、土台と柱部分の箇所だけでも長ほぞにした施主さんがいた。機械では出来ない為、大工さんの手作業になる。その分だけコストは上がる。しかしそれでも頑強な家作りには、とても大切なことだといえる。
目に見えないものこそ手刻みで建てられた家は、今は贅沢品と見られることもある。しかし、昔の日本の家作りの中では当たり前のようにされてきたこと。贅沢では決してない。今、日本が、コストダウンのためだけに、やらなくなっている大事なことを、元に戻していきたい、と長谷川は言う。
「いい家を作っていく上で、間違いは正して、より良い提案ができる大工になりたいですね。建てる前に施主さんとお話しが出来れば、決まってからでは直せない根っこの部分から話して、最初から最後まで心通わせた仕事をしていきたいですね。」当たり前のことを当たり前に…。見えないものこそが大事。
今、長谷川は大工という仕事を持ちながら、畑を持ち、鶏を飼い、土や、自然や、木に触れることの大切さを実感しながら暮らしている。
「究極の技術だけを追い求めていくのではなく、同じベクトルの人と繋がっていきたい。その思いが強いんです。人として共感し合いながら、共に同じ方向を向いて歩いていければ、それこそが僕の喜びです」。
長谷川が、これまでの人生でただひとつ感じた真実。それは「目に見えない部分こそが大事」だということ。そして今日も、その信念を貫いて長谷川は生きている。
自然素材住宅のお宅訪問 スペイン風の白亜の邸宅 |
スペイン風の白亜の洋館。 家のイメージをこわさず、 徹底した自然素材で快適さを手に入れた |
川崎市麻生区の閑静な住宅街に建つM邸。
玄関の手前のパティオ入口には、大きなアイアンの門がお出迎え。
床に敷き詰められたタイルと共に、スペイン建築を思わせる外観。
そして、庭は、生い茂る草木の緑とオレンジのレンガの抜群の相性に目を奪われる。
アイアンの門をくぐり、パティオを通りすぎると、この家の玄関に到着する。
この玄関を入ると、そこにはスペイン風とは一変して杉の大黒柱に、日本美をたたえる襖建具が目に飛び込んでくる。
まさに和空間が広がっているといえる。
家造りとの出会い |
設計・施工を担当したトレカーサの担当者と、施主ご夫妻とは10年来の仲だという。
10年前、ご主人が立ち寄った自然食品のお店にトレカーサのチラシが置いてあったのが出会いのきっかけだったという。
どこまでも自然の素材にこだわったトレカーサの家づくり。それを知って、当時住んでいたマンションのリフォームをトレカーサに依頼したのだとか。
それからずっとお付き合いが続き、昨年、住み替えを考えはじめるようになった。
「担当の方にも、ピンとくる土地に出会うまで探すことが大事だとアドバイス頂いて、気長に探そうと思っていたんです。でも二ヶ月ですぐこの土地に巡りあって、ピンときました」と奥様。
以前は駅からすぐのマンションに住んでいたご夫妻。
新居への住み替えだけではなく、道幅の広い閑静な住宅街の歩道を歩き、家路につく道のりもまた、心地よさの一つだと語る。
土地がきまれば、即、家造りは、全幅の信頼を寄せてきたトレカーサにお願いした。
トレカーサは、風が抜けることを主眼に置いた設計をしている。
勾配天井には、いくつかの天窓を設置し、室内の下から上に風が抜けるようにし、縦の風の流れもつくった。
これだけで室内もグッと涼しくなり、エアコンを使わず快適に過ごせるというのだ。
またご夫妻が驚いたのは、以前暮らしていたマンションに比べて、湿気が圧倒的に少ないことであったという。
徹底して自然素材を採り入れた家えづくりの故である。
床や天井には無垢の木材を使い、室内の壁には、和紙や漆喰で仕上げ、壁の中の断熱材は古紙を利用したセルローズファイバー。
そして外壁には、火山灰の左官壁を使用。徹底的に家の素材が湿気を吸い、快適な空間ができるよう設計がなされている。
「杉の無垢材はとにかく足の裏が気持ちいいんです。暖かくて、やさしい感触。本当に快適なんですょ」と奥様。
「とにかく信頼し、全てお任せでお願いしてしまいました。私たちみたいに、こんなにも安心して家造りをした人はいないんじゃないかしら」と奥様。部材や産地にこだわり、緻密に作られたM邸は、どこまでも居心地がよい。そう、心地のよさとは、自然をいかに巧みに採り入れるか、ということなのかもしれない。奥様の自然な笑顔が印象的な、陽射しあふれる温かいお宅であった。