こんにちは
写真は、ヴィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が描いた「糸杉」の絵です。
ゴッホは牧師を父にオランダで生まれ、
当初牧師を目指していましたが、
27歳の時に画家になる決心をし、
フランス・バルビゾン派の農民画家、
ジャン・フランソワ・ミレー(1814-1875)を尊敬し、
模写をしながら独学します。
やがて自信を得て本格的に絵を学ぶためにパリへ行き、
そこでゴーギャンやロートレックら後期印象派のグループに参加します。
当時パリは北斎に始まるジャポニスムブームに沸いており、
ゴッホも日本に憧れ浮世絵の影響を受けて色彩が茶色一辺倒から鮮やかになります。
やがて貧しい画家の共同体を作ろうと思い、
南仏プロバンスのアルルに移住します。
ここで「向日葵」や「跳ね橋」の連作、友人や地元民の肖像画など色彩輝く傑作を数多く残します
しかし、ゴーギャンとの不和から精神が不安定になり、
自らサン=レミ・ド・プロバンスの修道院の療養所に入所します。
日本ではあまり知られていませんがここは裕福な人向けの施設です。
当時は屋が埋まっておらず、2階の居室の他に1階の部屋もアトリエに使い、
滞在した1年の間に「糸杉」の連作を残しました。
こちらの絵は現存する9枚の中の1枚で、到着して間もない1889年6月の作品です。
「糸杉」の連作では、夜空の星と月を描いた「星月夜」や、
「糸杉と星の見える道」が有名ですが、
それら後期に描かれた夜の絵と比べると、
この絵を含む他の7枚は昼間の明るさが特徴的で、
強く生きるエネルギーが伝わってきます。
糸杉(Cypress)は別名セイヨウヒノキと言われるヒノキ科の樹木で、
古代ギリシャ・ローマ時代からヨーロッパに広く生育し、
キプロス島の語源と言われます。
またイエス・キリストの十字架に使われたという伝説から、
欧州では墓地に植えられ死や告別の意味が花言葉に当てられるようになりました。
そのため通説では、ゴッホの「糸杉」の絵は死を予感して描いたと言われます。
しかし、「星月夜」と「糸杉と星の見える道」以外の絵は明るく生命感にあふれ、
同じようにうねり伸びるポプラの木も以前から描き残していることがわかり始め、
題名に樹木名がないと見分けがつかない同じ表現は、
作画の意識が花言葉の意味ではなく、
弟テオへの手紙からも純粋に形態に興味があったことがあらためて指摘されています。
美しい円錐形の「糸杉」はクリスマスツリーにも使われ、
キリスト教文化圏最大の祝祭の樹木のひとつです。
また近年の研究では、同時代のベストセラーだったキリスト教文学の
「天路歴程」に糸杉が登場することも指摘され、
ゴッホが牧師の家に生まれ、絵で人を導くと言っていた
彼の言葉が関連づけて考察されています。
ゴッホはサン=レミの療養所を退去した後に、猟銃自殺をしたことになっていますが、
これも近くにいた少年の誤射かもしれないとの説があり、真相は明らかではありません。
絵が売れる前に没し、激しい性格と表現が悲劇性と結びつけて語られてきましたが、
真相解明は今も続いており、「糸杉」の真の意味同様に待たれるところです。
画像:ヴィンセント・ファン・ゴッホ「糸杉のある麦畑」1988年 ニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵
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