vol.6
INTERVIEW 1
ゆったりした時間の中で手間をかけて生まれる
染織アート タピスリー作家 桂川幸助氏
INTERVIEW 2
住みたくなる町~旧藤野町・牧郷地区~
「あすの牧郷をつくる会」会長 倉田典昭さん
自然素材住宅のお宅訪問
自然素材を活用した建物も家族も風通しのいい家づくり
INTERVIEW 1 ゆったりした時間の中で手間をかけて生まれる染織アート |
染織工房・手織教室「タピスリー桂川」 タピスリー作家 桂川幸助氏
プロフィール 桂川幸助 タピスリー作家。 1950年3月20日生まれ。 多摩美術大学デザイン科染織デザイン専攻卒業。 同大学染織研究室勤務を経て、1979年フランスのアンジェ州立美術学校へ留学。 帰国後、多摩美術大学の非常勤講師を勤めるかたわら染織工房・手織教室「タピスリー桂川」を開設。 1975年全日本染織展の入賞をはじめ、各賞を受賞。タピスリー作家として数多くの作品を発表している。 現在、社団法人光風会理事。 |
母の手料理、初めて作った梅干し、子どものために作った簡単な洋服、手編みのマフラー…
どれをとっても、手づくりのものは、独特の温かさや作り手の気配を感じさせてくれます。
機械生産が当たり前になり、コンピュータでさまざまなデザインが簡単に作れるようになった今、手で作ることのリアリティはいったいどこへ向かうのでしょうか。
そのヒントを求めて、自然溢れる環境で作品を生み出している、タピスリー作家の桂川幸助氏を訪ねました。
ゆったりした時間の中で手間をかけて生まれる染織アート |
山々に囲まれた相模原市緑区(旧津久井郡津久井町)にある染織工房「タピスリー桂川」。
平屋建ての日本家屋と広々とした庭は、鳥の声や風の音がすべて聴こえてきそうな優しい静けさに包まれています。
室内には本格的な織り機が並び、あちこちに染め上げた糸が吊るされています。
玄関には藍の苗、台所にところ狭しと置かれた染料や媒染液がさながら実験室のようです。
この染織工房を主宰しているのが、タピスリー作家の桂川幸助氏。
ご自身の創作活動に加え、手織教室や草木染めの講習会も開催しています。
タピスリーとは? |
タピスリーとは、綴織(つづれおり)という手法で織られた壁面装飾用の布のことで、いわば、布を織ることで作る絵画のようなもの。
下絵に合わせて緯糸の色を変えて織っていくことで、模様を表現することができます。
綴織自体はエジプトで発掘された紀元前1600年ごろのものが最古のものと言われていますが、タピスリーとして壁面装飾に使われるようになったのは、12世紀ごろのヨーロッパだと言われています。
ドイツやベルギー、フランスの北東部が産地として広まり、王政時代、王様が他国への贈り物として使うようになったことから発展していきました。
学生時代に染織の勉強をしていた桂川氏は、織りで模様や絵柄を描き出せる綴織に魅せられて、29歳の時、タピスリーの本場フランスへ1年間留学しました。
「織り方としては平織りといういちばんシンプルな織り方を使っているんです。それなのに複雑な模様が織り出せることに魅力を感じました。日本でも帯などは綴織で織られていますが、壁面装飾に使うという観点がなかったので、その感覚が得られたことがフランスに勉強に行っていちばん良かった点ですね」
実際に桂川氏が作ったタピスリーを見ると、工芸品というよりも、アートの要素を強く感じます。
全体を見れば絵画のようなダイナミックさを感じ、織りそのものをミクロの視点で見ると、さまざまな色糸が混ざり合って生まれた緻密さと繊細さに思わずため息が漏れます。
モチーフを決め、スケッチをし、デザイン画を描き、必要な色をイメージして染め上げ、色糸を組み合わせて織っていく…。
このうちのひとつが欠けるだけでも、イメージどおりの作品には仕上がりません。
大きな作品になると、完成するのに3~4ヶ月かかることもあるのだそうです。
「織物ってすごく時間がかかるものだから、イメージを自分の体の中に入れてそのイメージを継続しないといけない。だから写真をもってきてこれを作ってくださいと言われても難しい部分があります。
たとえば、実際に織り出したらイメージと違ったということはよくあることです。
そういう時に一連の作業をひとりでやっていると、自分のイメージと経過がはっきりしているので、こうしたほうがいい、ああしたほうがいいっていうことが自分で判断できます。
それって手作業でやるものづくりの大切な側面だと思うんです」
イメージが膨らんで作品が生まれる |
桂川氏が主に題材としているのが「花」です。
スケッチをしているうちにイメージが沸いてそこから作品づくりが始まります。
「たとえば游シリーズで描いているのはカトレアって大きな花なんですが、描いているうちに花を真っ黒に塗り込んでいくような気もちになりました。それじゃあモノクロで表現してみよう、でもモノクロだけじゃ作品として難しいなって思いながらスケッチを続けていたら、いつの間にかその花の中に引き込まれて、自分が虫になって花の中で遊んでいるイメージが出てきたんです。
それで、虫の遊んだ航跡を色で入れていけば作品として成り立つかなと思いました。
奏風シリーズは牡丹をスケッチしていて、あとでスケッチブックを開いた時に気持ちいい風が流れたんですね。
それで、作品に風を入れていこうと決めました。
スケッチしてる時は夢中であんまりイメージも沸かないんだけど、あとで見た時に“そういえばこの時すごく気持ちいい風が吹いてたな”とか、客観的に自分の姿が見えてくるんです。
そういうところからじゃあこうしてみようっていうのが出てきます」
イメージが豊かに膨らめば膨らむほど、実際の染めや織りにその感覚を組み込むことができるというわけです。
これは、すべての作業をひとりで行なうからこそ得られる豊かさなのかもしれません。
ゆったりした時間の中で創作を |
桂川氏が旧津久井町に引っ越してきたのは、今から23年前。
じつは、自然の多いところで暮らそうと思ったわけではなく、たまたま不動産屋に紹介されたのが、津久井町だったのだそうです。
「こういう仕事をしていたし、金銭的にも余裕がなかったから、不動産屋もこのへんを紹介したんだろうね(笑)。でももともと自然志向でこういう環境も嫌じゃなかったから、まぁいいかなと思って。子どもの通学だけが心配で、決める前に子どもを連れて学校まで歩かせたりしました。“歩けるか?”って言ったら“大丈夫”って言うから、じゃあここにしようかって決めたんだよね」
当時は多摩美術大学で助手をやりながら作家活動を続けていましたが、14年前、非常勤講師になったことをきっかけに、自宅から歩いて数分の空き家を借り受けて「タピスリー桂川」をオープンさせました。
今は、自然環境の中で創作する良さを改めて感じているそうです。
「織るっていうのは毎日の積み重ねだから、焦るのがいちばん良くないんだよね。
フランスに行った時に、ゆったりした時間の中で織ると落ち着いて制作できるなと思ったんですが、今、たまたま同じような環境で創作するようになって、結果的に良かったなぁっていうのをすごく感じます。
極端に言うと、日が暮れたら帰ろうと思えるとかね。
そういう思考ができること自体、非常にいいなと。実際には夜中まで織ることもありますけど(笑)」
手で作るということ |
バブルの頃には大きな作品の注文がたくさん入りました。そういういい時代を経験したからこそ「せっかくここまで続けてこれたのだから、この先も仕事を継続していくことが今の目標」と桂川氏は話します。
時代とともに若手の作家が減少している現状についてもお話してくださいました。
「たとえば草木染め講習会に常連できてくれている人は煮出すところから自分で染めます。そうすると、自然からの贈り物をいただいているという実感をもって帰られます。そういう手で作る実感が今の若い世代には足りない気がしています。
たとえば畑仕事をして土をいじっている時に郷愁を感じる、それは昔どろんこ遊びをした経験が自分の中にあるからだと思うんだよね。作品をつくるだけでは食べていけなくなっている、それでも、理屈抜きでこれをやりたいって思えるかどうか。
それがこれからの日本の工芸家には必要なことなんだと思います」
しかし何十年もものづくりと向き合ってきた桂川氏は、その未来を懸念しながらも、一方で確かな確信も、もっています。
「紀元前何世紀っていう時代から絵を描くっていうことはずっと続いてきたわけだし、土器にしても織物にしても、ものづくりにはものすごく長い歴史がある。だから、どういう方向にいくのかはまだわからないけれど、自分の中で全部消化できる“個人ベースのものづくり”っていうのはなくならないと思っています」
糸を染めたり布を織ったりという作業はとても手間のかかる作業です。
しかし手間をかけた分、そこに込められた作り手の思いや個性、その背景は、作品に力強い生命力を与えます。
だから私たちは、手で作られたものに、今も惹かれ続けるのではないでしょうか。手で作ることは、心を込めることと繋がっているのです。
INTERVIEW 2 住みたくなる町 ~旧藤野町・牧郷地区~ |
暮らしを考えたとき、心から住みたいと思える魅力的な「場」を選ぶのは大切なこと。 また、個性ある地域コミュニティから自分の住む「場」にも活かせるヒントはたくさんあります。 このコーナーでは、魅力的な町や地域コミュニティをご紹介します。
お話を伺った人 「あすの牧郷をつくる会」会長 倉田典昭さん 「牧郷はおいしい空気とおいしい水が自慢です。 イベントがたくさんありますので、ぜひ1度牧郷に遊びにきてください!」 |
旧藤野町(現相模原市緑区)は相模湖を挟んで南北に伸びた、人口1万人の里山の町です。
恵まれた自然環境と都心まで電車で約1時間という利便性の良さからか、古くから芸術家や自然志向の人々が数多く移住し、独特の地域文化を作り上げています。
今回ご紹介するのは藤野町の「牧郷(まきさと)」地区というところ。
山梨県との県境、藤野町の南西に位置する、約165世帯、人口500人の地域です。
地域活性化の取り組みを積極的に行なっている地域として知られています。
「牧郷のキーワードは“小学校”なんだよ」 とお話してくださったのは、牧郷地区で地域おこし団体として活動する「あすの牧郷をつくる会」(以下、あすまき)の会長、倉田典昭氏。
「牧郷」は、じつは地名ではありません。
児童数減少によって2003年3月に閉校した小学校の名前が「牧郷小学校」。
閉校が決まったとき、牧郷という名称を残したいと思った当時のPTAのお父さんたちが集まって、あすまきを結成しました。
「あすまきは、もともと小学校でやっていた収穫祭やどんど焼きなどの行事を引き継いでやろうというとこから始まりました。
だから、仮に小学校が続いていたら、今、地域おこしにどう関わっていたのかは想像もつきません。小学校を通じて地域の繋がりが形成されていたことが閉校後の活動のきっかけにもなりました」
当時、学校が週5日制になり、土曜日が休みになりました。牧郷小学校は週5日制の研究指定校になり、土曜日の過ごし方として「となりの先生制度」という制度が設けられました。
これは、地域に住んでいる得意分野のある人にきてもらってさまざまなことを習うというもので、閉校になるまで続いたそうです。
となりの先生として地域の人が小学校に関わることで、PTAを卒業した人たちも繋がりをもつことができました。
「牧郷は地域力で子育てをする、学校と家庭と地域で子育てをしようっていう考え方がある地域でした。考え方はそうだとしても実践するのはなかなか難しいものですが、そういう点に目を向けてくれた先生がいたんです。あれはすごく面白い活動でしたね」
そして、外部の受け入れに対しても理解がありました。
現在は「牧郷ラボ」が牧郷小学校校舎を再活用。 アーティストやクリエイターのアトリエ、作業場として校舎を利用していて、現在は音楽家、木工作家、空間デザイナー、絵描きなどが創作の場として活用しています。
毎年夏には「ひかり祭り」という廃校アートフェスが開催され、3日間で延べ5,000人が牧郷小学校にやってきます。
田舎とはいえ、小学校の周辺は住宅街です。
あすまきをはじめ、地元の方々の理解と協力があってイベントは成り立っています。
「最初は違和感ありまくりでしたよ(笑)。
でも、牧郷でやるなら協力するよっていうスタンスでやってい結果的には、こんなに大きなお祭りを少しでも支えているっていうのは、すごい関わりだなぁと思っているの。たとえばあすまきの活動だけだったら地域としてはそこまで面白くないと思う。
ひかり祭りという年1回のすごいイベントがあるから、牧郷は面白いって感じてもらえる」
ひかり祭りに関わることで、あすまきのイベントもパワーアップしました。
たとえば秋の収穫祭はかなり大規模に開催され、地域の人はもちろんのこと、ひかり祭りをとおして牧郷のことを知った牧郷ファンもやってきて賑わいます。
地元の人が自分たちの個性を生かしながら外部にも開放する形で開催しているイベントはそうそう多くありません。
「お互いを認め合って、仲良く、楽しみながら」暮らすことが、活動の長続きの秘訣だそう。
自分の住む町を自分たちの手で楽しい「場」にしていくことを牧郷地区では実践しています。
牧郷地区の気になるポイント |
■あすの牧郷をつくる会
2003年3月、牧郷小学校閉校を機に、牧郷の名称を残すことと、小学校で行なわれていた行事を引き継いで行なうことを目的に結成された地域おこし団体。
春はさくら祭り、秋は大収穫祭、冬はどんど焼きなど地域の事を主催しているほか、環境整備や資源回収なども行なっている。
夏のひかり祭りでは飲食店を出店したり、地域の方々と牧郷ラボの間に入ってフォローするなど協力体制を作っている。
牧郷小学校閉校後、校舎の再活用事例として始まった「牧郷ラボ」。
アーティストやクリエイターのアトリエや工房、もしくは各種団体の事務所などとして、常時十数人が入所し、創作活動を行なっている。
現在入所しているのは、木工作家、空間デザイナー、音楽家、ライター、絵描き、映像作家、カメラマン、NPO団体、シェアオフィスなど。イベント開催時は、一般開放も行なっている。
■ひかり祭り http://hikarimatsuri.org
牧郷ラボが主催し、牧郷小学校を舞台に年に1度行なわれるアートフェスティバル。
“廃校に希望の光を灯す芸術祭”をテーマに、3日間、色とりどりの光や音楽、アートで小学校が彩られる。
昨年は東日本大震災を受けて、100%自家発電で開催。アートの要素が強い独特の内容ながら、あすまきを中心に、地元の方々が全面協力している全国でも珍しいフェス。
毎年3日間で述べ5,000人以上が参加する。2012年は8月3~5日に開催。
■藤野電力
http://fujinodenryoku.jimdo.com/
東日本大震災後、電気の在り方について考えた市民が「いきなり電気のすべてを自給することは無理でもできることはある!」と立ち上げた任意団体。牧郷ラボメンバー。
42,800円で作れるミニ太陽光発電キットのワークショップやイベントの主催、各種イベントへの電力供給などを行なっている。
最近ではNHKでも取り上げられ、牧郷ラボで月に1回開催しているワークショップは数ヶ月先まで予約が埋まっている。出張ワークショップも開催中。
自然素材住宅のお宅訪問 自然素材を活用した建物も家族も風通しのいい家づくり |
小田急線渋沢駅からほど近い高台の住宅街に建ち、正面には丹沢の山々が見渡せる絶好のロケーションに建っているのが、2011年7月に完成したI邸です。 |
コンクリート打ちっぱなしの壁に一部杉材をあしらった外観は、とても洗練された印象。玄関を入ると、コンクリートに木材を組み合わせた、落ち着きある空間が広がっています。
日当たりが良くて明るい室内の、四方に配置された窓からは風が心地よく吹き抜け、ストリップ階段が空間に広がりと開放感を与えています。
コンクリートRC造で音が響きやすいこともあり、どこでも家族の気配が感じられるそうです。
地震が心配な地域のため、耐震性・耐久性などを考慮してコンクリートの家を造りたいと思っていたご主人。
土地探しを始め、工務店も同時に探していた時、通勤途中で建設中だったビルを施工していたのがトレカーサ工事でした。 気になってホームページを見てみると、RCもやっているし、自然素材を使った家づくりもやっていることがわかりました。
「自然素材の家もいいなとは思っていたんですが、ハウスメーカーを調べてもとても高かったんです。それでRCを最優先で探していたんですが、トレカーサさんは自然素材も扱っているということで一石二鳥だと思いました」
土地を有効に使いたかったので、地下+2階建て+屋根裏で広さを確保することにしました。
1階は和室と寝室。コストを下げるため、トレカーサさんからの提案で、和室の壁はタナクリームと珪藻土を家族で塗ることにしました。
初めての体験でしたが、楽しみながら2日ほどで仕上げることができたそうです。2階はワンフロア全部を使ったリビングルーム。
紀州の杉材を素地で利用した床材は、柔らかく、素足で歩きたくなる気もち良さです。
大型の薪ストーブを設置したので、リビングだけではなく、子供部屋として使用している屋根裏部屋まで、暖をとることが出来ました。
また、外断熱工法を採用した結果、薪ストーブを焚いても窓に結露がつかないといった利点も。
逆に夏は、外の熱が内部まで伝わらないことと、窓の開く向きを工夫(ウィンドウキャッチャー)して風通しをよくしたことで、窓を閉める時以外は冷房を使わなくても大丈夫。
光熱費はなんと以前の半額(!)になったそうです。
ご主人のライフスタイルにも変化がありました。第二東名高速の用地となっている山の木をいただけることになり、薪ストーブの薪を作るため、毎週切り出しに出かけているのです。
そのためにチェーンソーの使い方も覚えました。大変な作業ですが「手間がかかるのが逆に楽しい」と感じているそうです。
庭や外構の整備、防音対策など、手を加えていきたい箇所はまだまだたくさんあります。
4人いるお子さんの年齢に合わせて部屋の間取りを変更することは、家づくりの当初から想定していました。
いずれは地下の倉庫を改装していくこともお考えとのこと。
理想の家づくりは、そんなふうに時とともに変化し、終わりが見えないものなのかもしれません。